okimituki2006-03-22

〜手を重ねあうだけで〜

泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて
わたしたちがはじめてふれた高さからそうだね屋根がぜんぶみえたね
だまってるばかりでもいい春先の猛禽類(もうきんるい)の檻の前では
かわくとき少し反るのがいとおしくサンドイッチをはさむてのひら
背をあわせ皺をあわせて干しぶどうの袋の中のしんみつさになる
あたらしい蝉のぬけがら照る葉裏吹かれて夏にゆきどころなし

〜たましいなんて欲しくなかった〜

走りすぎて痛かった胸なぐさめる目をあけたまま空を消したい
砂利道でころんだように涙目の計画性のないがんばりや
忘却のこめかみが身体じゅうにあるようなアゲハチョウの幼虫

〜好き、です。〜

焼きたてのレモンチキンにナイフ入れじわりと思う、思うのでしょう

〜ひさしぶりのさよならですね〜

水が水の重さかかえて落ちてくる冗談だけが人生でした
ここで泣いた。思い出した。生きていた。小さな黒い虫になってた。

                       
                       東直子
                       「愛を想う」ポプラ社より抜粋

 2004年刊行の東直子×木村達朗(歌画集)がいま手元にあるので書いておきます。
とてもライトな装丁のふんわりほのぼのとした穏やかさにつつまれた、うす青い空にぽっかり白い雲の浮かんだ東さんの本です。木村達郎さんのカラーイラストが全面・全ページにわたってシンプルにさっぱり描かれてて、そこに東さんのお歌が繊細な黒文字で印字されています。
 たしかに表面はとてもあたたかでやわらかで、それはやはり東さんらしいお歌の数々なのですが、その奥にあるのはいつものお歌よりもうんとリアリティのある悲しみがびっしり詰まっているような気がしました。
 料理をしているときとか食品にはーここのどこからでもあけられますーと書かれているパッケージ包装があるけれど、東さんの歌はまるでそれみたいに限りなくやさしく案内されていながら、なかなか破れない口惜しさみたいなものを想うことがあって、ようやく破れたかなと思ったらもうあふれだしている、そんな感じ。いつもどこかで裏切られ、ぽつんと置いてきぼりになってしまっているさみしさ。
 それにこうやってならべてみると永遠少女な東さんが、どこからともなくするっするっと飛び出てくる感じがよくわかる。愛を想っている東さんは、なぜだかすこぶる虫が多かった。高いところから見る屋根々もきっと小さく虫みたいに細かく見えるだろうし、皺をくっつけあうレーズンも見ようによっては黒い虫っぽいと思う。猛禽類(鷲や鷹などの肉食鳥獣類)の前ではもう虫になりきってしまいそうな強い客観性をひたひたに満たしてあって、あるポイントに触れたらわぁっと饒舌な静けさがおしよせる、けれど遠くからじわじわも襲うそんな一冊でした。

                                                                                                              • -

 「愛を想う」後記
 東直子さんに「ブログ書きました」のご案内メールに、おことばいただきました。
>胸がきゅんとなりました。東直子
(ふふ・・後は、ないしょ)私のほうこそ東さんをきゅんとさせたなんて、うれしくてどきどきしました。どうも、ありがとうございました。 小軌みつき

http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/
直久(東直子さんと小林久美子さんのHP)