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とある春の終わりもしくは初夏の始め、わたしは短歌と出会い
あの時、あの歌と出会ったことが今を思えばはじまりだった
こんなにも風があかるくあるために調子つぱづれのぼくのくちぶえ
カナリアの血はあたたかいそれゆゑに細き啼きごゑつきまでとどく
きのふあなたはさかなのふりですごしたればまばたきに零れおちるしろがね
さわさわとさわ立つこころ溶けかかつてうまくとれないキャラメルの紙
ここまでを真夏の境界線にして立ちすくんだまま枯れるひまはり
夜の子供はさびしいままの深海魚そらのにほひをおもひだせない
おばあちやんの笑顔はおもひだせなくてすこし砂糖のかかつたトマト
この胸はあなたの声のひびく森蝉も迷ひ子の星もねてゐる
おもひでのやうでもあれば蛍たちぼくのみぎはに群れなしてくれ
おそらくは口にだせずにゐたゆゑにぼくらの波は高かつたのだ
山崎郁子
ー「麒麟の休日」より抜粋ー
もう、ひとめぼれだった。その後のことはあまり覚えていないくらいあれから私は歌を詠みつづけた
だからそれからしばらく経って、阪急百貨店の書籍コーナーで短歌名鑑みたいな本の中に山崎さんの住所を見つけたときに、まるで遠い恋人の住所を見つけたみたいにどきどきして手紙を書いた。かなり純粋なファンレターだった。だからおそらく受け取った山崎さんはそのわたしの妙に一途な想いが、もしかすると少しこわかったのではないかと思う。しばらく経ってから、歌のそのままのようなお返事が届いた。なんかこれまでずっと片想いだった人に、急に会ったこともないのに告白しちゃったような、自分としては信じられないくらいの気分でどうしょうもなく舞い上がっていた
その後何度か手紙のやり取りをさせていただいて、そうこうするうちに秋にわたしが早稲田文学新人賞を受賞することが決まった。その授賞式の後、セカンドパーティを友人が開いてくれるというので、そこに山崎さんをお招きすることができることになった。もう12月でその年初めての雪がちらつくのを新幹線で見た日、私はそこで山崎さんと初めてお会いすることができた(結局お会いしたのはその時だけだけだったけど)
その時たしか隣りに座っていらして、だけど意識しすぎてほとんど話せなくて、ほんとうにかけめぐるような時間が過ぎた
今日、本を整理していて久しぶりにケース入りのうす桃色の「麒麟の休日」を取り出して読もうとしたら、ページをめくったところにお会いした時に書いてもらったのだろう歌とサインと日付があった・・・・
私はじつはかねてから本にサインしてもらえばよかったのになと今ごろになって後悔していたので、どれほど自分がわけわからなくなっていたかわかる。つまりサインしてもらったというような記憶せずとも記憶しているはずのことすらも覚えていなかったのである
もうすでに少し胸がつまってしまいそうな、いまやソーダ水越しのエピソードである
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題詠100首blog・本日の投稿分
012:噛
いつまでもバニラプレッツェル噛みあって笑っていたいだけだよ、きみと
小軌みつき
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013:クリーム
天国ではしゃいでいてよねクリームは秘密の丘で2歳のまんま
小軌みつき
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