okimituki2006-03-15

「世界や理想という雑誌があった/遠いわねえ/遠いだろうか」という詩のきれっぱし。遠いわねえ。遠いだろうか。


みずいろのつばさのうらをみせていたむしりとられるとはおもわずに
もうじっとしていられないミミズクはあれはさよならを言いにゆくのよ
かがやきながらそしてかすかにうつむいて 海にざんぶとたおれこむまで
木からはみだすさみしさがもし花ならば 道化師の瞳の星型の紅
へたなピアノがきこえてきたらもうぼくが夕焼けをあきらめたとおもえ
きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある
夏になれば天窓を月が通るから紫陽花の髪それまで切るな
もう色がいらないほどの生活をあのバス停で呼び止めようよ
三つかぞえろ 誰もできないくちづけをほろびるまでにしてみせるから
つきなみな恋に旗ふるぼくがいる真昼の塔がきみであります
そのときはもうそのときは木星の一瞬のかがやきでいい
樹のうろに棲むという蝉に逢いたくてぼくはしずかに帽子をかむる

                          正岡豊

                        「四月の魚」より抜粋

 1990年にまろうど社から刊行された正岡豊の17歳〜27歳までの、みずみずしい歌を集めた第1歌集
 もうずいぶんと前にネット上で正岡さんと偶然に出会って、わずかの間でしたが交流がありました。その秋に著者謹呈いただいたき手元にあるものが「四月の魚」です
 みずいろの装丁のその歌集には、みずいろの手紙が一枚挟んであって、少し濃いインクリボンでタイプされた正岡さんの少しおちゃらけた文章も一緒に残っていました
 近年この「四月の魚」が再版されたとか見直される静かなムーブメントもあるようで、正岡さんを支持する歌人周辺の方々もいらっしゃるようですし、それはそうなるべくしてそうなっているのだと思いますけど。出版から16年経ってもそれくらいには痛くて鮮やかさに満ち満ちていて、正岡さんのひとかたならない歌の世界に対する深いいたわりとか、寛容しつつ果敢に挑戦する視点を感じることができます
 出会ったとき正岡さんは、私に平井弘を知っているかどうかを尋ねて、私は知らないと答えたんだけれども。最近それがなんでだったか(当然うすうすはわかっていたんだけれども)わかってしまいました。それから環境を整えるということが、鉛筆や机をそろえるという意味ではないことも。それはもちろんそれなりに私にもわかっていたことではあったのだけれど。それをほんの短い間にあんなにも明確に伝えてくれた他者が存在していたということを、私はいまでも忘れていない

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題詠100首blog 投稿分

025:とんぼ 

くるくると旋回をする糸とんぼ初夏のないしょのあのベンチには
                        小軌みつき
http://blog.goo.ne.jp/daiei100syu/e/59d0d3e1096069a074366f055ab8a935

024:牛乳

テーブルに牛乳の輪っか消せなくて半熟卵は分け合えたのに
                        小軌みつき
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