okimituki2006-04-20

◇毎年のゆううつ  
 いつまで経ってもさぶいなぁ・・こたつが片づけられないぞ。毎年悩みの種な家庭訪問があるから、なんとかカタチにしなければ。うちはとても流動的な感じになっていて、私がまんなかにテーブルとかあるとさみしくなるから、どこまでもひとり暮らしの部屋みたいなのだ。壁の近くに寄り添っていたいんだよね。だから先生が来る時だけ(私にとって)他人行儀なつくりにする。ほんの20分くらいのためだけにどれだけ働かなくてはならないかと思うとうんざりする。そのくらいだめなこと。(できるなら2年に1回くらいにしてほしいのだけどね。あーあ)自宅ショップのなごりでやたら小物が多すぎるし、手間がかかるインテリアなのだ。でもたまにはちゃんとしてあげないとね。

◇以前やっていたこと
 以前いきおいで移動販売やら自宅ショップをしていた。基本はフリマ販売で遠方の方用に通販をやっていたんだけど。ほんとうにごくごく僅かだった自宅ショップはよくやったことのひとつ(私にしてみたら)。その頃には、オールカラーの「美しい部屋」にも私の部屋が登場したことがある(2回ほど)。広告写真にうちのちんまいキッチンが載っていたときは、うちじゃないくらいによく撮れていた。ああ、あんなこともうできない。でもいまでもアンティーク雑貨もししゅうやパッチワークや、こまかい作業をくりかえしてコツコツ小物を作ったりするのとか、嘘みたいに大好き。やるとなったらとことんまでやる!あんなにやりすぎたからいまはもうやらないけど・・・。やりだしたら指が止まらないのを知っているし、そんな自分もコワイ。なんだか自分のキャパシティを超えて作りつづけてしまうことがあって、それが心地よかったり、自分で自分にびっくりしたりする。
◇GWピクニック
 ゴールデンウィークにはピクニックに行く。いつものよりあい仲間を誘ったら、けっきょく全員来るらしい。なつかしいところへ行く。そう前は毎週のように作った雑貨を売りに行っていた万博公園だ。もう販売をやらなくなってしまって3年くらい経つ。ほんとうにあの経験もそうだけれども、色んな「やりたいと思う」ことを「やれる範囲でやりたいだけ」、どんどんとやるのは爽快なことだった。得たものが多かった。私はそういうふうに誰かのつくった道を歩くより、自分のやりたいたいことをやってびしょぬれになったり、炎天下でクラクラになったり、寒風にさらされてもそれがいいのだと思う。久しぶりに行くけど、目的はぜんぜん違う。なんだか仕事じゃないからうれしいんだけど、もうあの頃はかえらないんだなぁと思うとそれはまたそれで、きつくてもやはり極上に楽しかったのだ。たくさんの自分の出来ないと思っていたことを、あれだけできる自分に変えられたのだから。おかげでいまではチープなりにセミリタイアできたのだし。だからとびきりなつかしい場所で、いつもの友人たちと食べるお弁当がいまからとても楽しみ。
◇借りてきた本から
 お金、尊敬、愛……すべては勝利しないと手に入らない、
と私たちは教わりました。
そして、たくさん傷つきながら、競争し奪い合うことを学んできました。
それがこの競争の世界での生き方だからです。
 しかし、私たちの本質は分かち合いであり、ふるさとは共存の世界です。
もし、今から本質を生きようとすれば、自然と本質とずれた部分が浮かび上がります。
他人の失敗を望んでしまう自分 独り占めしたくなる自分 自分ひとりだけよければいいと思う自分 もし、そんな自分に気がついても責めないで下さい。競争で傷ついた自分自身なのですから。
もしも見つけたなら、恥じたり、罰したりせずに優しく抱きしめてあげてください。
 この競争の世界のなかで、分かち合う生き方を選ぶことはまだ少し難しいかもしれません。
でもそうやって一人ひとりが自分を癒していけば、やがて競争の世界に生きることのほうが難しくなる時代がやってくるでしょう。
            犬飼ターボ著「星の商人」あとがき引用 サンマーク出版