槇原君のハニカミ

okimituki2006-02-26

  昨夜、槇原(ノリユキ)君を見た。ひげをたくわえてオジサンになったのに、一時期よりもさらに無邪気でピュアになっているように見えた

 槇原君といっても友だちではないわけだし、とくにファンだというわけでもない。ただ確か関西で近くに住んでいたと思ってたから、そういう親近感を持って捉えてしまうところがあるというのに過ぎないんだけど(夕方にはチョコレイト工場の匂いがするところに住んでたのか、ふーんみたいな)

 だからアルバムだって一回もちゃんと聴いた事がない。だけど立て続けにヒットを飛ばした頃に和田アキ子が「あの顔でここまで売れるとは思わなかった」と愛情込めてコメントしているのを見て、思わずうんうんとうなずきそうになったことはすごく良く覚えている。(私は槇原君をみるとどうしても福笑いの眉を思い出してしまうのダ)


 彼は番組内で惜しげもなく数曲弾き語りして拍手を浴びていた。うろ覚えだけど無印のノートに詞を書いていると言っていたのをどこかで知って、私の作歌ノートもそのせいかどうかわからないけど最初からずっと無印オンリーなんだけど、それがパッとカメラに写されて思いのほかキレイに歌詞が書き記されていたのを見て、あー同じ鉛筆書きだとか思ってしまった

 それと昨日の放映内容で16歳だった槇原少年が、かの教授・坂本龍一氏のラジオ番組にデモテープを送ったというその当時のものがかかったのがとても面白かった。本人は大照れで穴があったら入りたいみたいな取り乱しようだったけど、いまの槇原君の片鱗をもうすでに形成してたのがすごく良くわかって興味深く聴いてしまった

 いつもどこか時代遅れの野暮で素朴な少年のままって気がする槇原君なのだが、そんな彼が覚せい剤所持で捕まったときはやっぱり意外だったし、せっかくの数々の楽曲たちも一時店頭から撤去されたりしてしまったということがあったというから、そういうのが伝わってくると遠まきで時おり小耳に挟むFMラジオのイージーリスニングで流れてくる槇原君のシングル曲を聴いていただけの私ですら、彼の曲たちが遠くで声もなく泣いているような気もしてあれはなんだかやるせないニュースだった

 あれから時過ぎて彼は「世界にひとつだけの花」の空前のヒットでよみがえり 音楽業界に市民権をまた得ることとなり完全復活を遂げたわけで、ここまで再生できた彼の音楽資質にもう自ら翳りをおとすような行為をして欲しくはないなぁとは思っているところ

 なんでそんな風に思っちゃったりしたのかというと、たぶん それは尾崎豊がまだデビューしていないときに、これからデビューさせようと思ってると鼻息も荒く興奮ぎみに紹介し、とりあえず聴いて欲しい!とサウンドリエーターの当時社長さんだった鈴置さんの番組内のオンエアではじめてラジオで鮮烈にかかった尾崎のカセットテープをノイズごと多感な高校生だった私は聴いていて、で実のところ私はそれほどは衝撃を受けなかったんだけれども・・・その後の彼の急速なカリスマぶりは圧倒されるものがあったし、また支持される背景も整っていたとは思うから、そういった意味では私も彼のその後の音楽活動を通じて発されているものをそれとなく眺めてはいて、その彼が結果あのような若さで疾走し逝ったということのほうが衝撃的であったわけです
 だけどなんだかそういった尾崎豊という人との出会い方とはまったく違った印象の槇原君だっただけに信じられず、あの事件の時にそういうのが一瞬脳裏をかすめてしまったのかもしれない

 そこにはやはり同時代の生き合う鼓動というか、気恥ずかしいけれどなんだかそういう妙なものがすでに息づいていて、生活の何でもないシーンにすら「毛布を鼻まであげて君のこと考えたり」「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」とか「どんなときもどんなときも 僕が僕らしくあるために」とかってのは、心に沁みついて入り込んで離れないでいる領域にあるわけだから、それらが揺らぐことが決してあってほしくなかったんだと思う

 息子の幼稚園の卒園の歌が「世界でひとつだけの花」だった時、小さく歌唱しながら若干そういう気持ちが交じったんだけど、それがもっと確かになったようなそんな気持ちで、昨夜あの福笑い眉の槇原君を久しぶりにブラウン管ごしに見て安堵し、心持ちほくそ笑んでしまった私である