幸子さん

okimituki2006-02-20

  ある年も押し迫った時期に引越しをした
その私の部屋は最も玄関側で隣には
すでに先人が住んでいた


 引越し当日、様々な家財一式の品を便利屋さんに運んでもらっていて それに加えて、友人の所持品だった湯沸し器を貰い受けることになっており しかしその湯沸し器は友人宅からではなく、別所から発送を当宅宛にしてくれていた
当日その友人も引越し手伝いにきてくれて一緒だった


 仕事を終えて便利屋さんが帰るので表に挨拶に出た時か そのお兄さんらに缶コーヒーでも振舞っている隙だったか その隣人が私の友人しかいない私の新しい部屋のドアを、ノックしてきたそうだ

 部屋にもどると湯沸し器はとどいており
友人が受け取ったのだが、それ以前に到着していて再送だったのか、隣人預かりだったのかともかくその隣人を煩わしたことがあったのだろう
 友人を新住人の私と思いこみ、やたら苦情を言われたと友人が嘆いていた


 ので、そこであまり友好的ではない感じを察知した私は
せっかく配ろうと思っていたインスタントコーヒーも配れないまま時間が過ぎた
(そのとき何故かインスタントコーヒーが何本かあった 懸賞で当たったのか 記憶があまりないが、私は紅茶党なので、コーヒーはあまり飲まないから挨拶がてら持参しようと思ったのだろう)


 そういうこともあったので、隣人とは接触を極力避けていたことは事実だ
私としては、やっかいなことになりたくなかった


 その人は年齢は40代半ばくらいで幸子さんという名前だった
夜の仕事をしているらしく夜中に酔っ払って帰ってくることもしばしばだった


 私たちは2階に3人のレディスアパートに住んでいて、その上階にコイン洗濯機があって それしか使ってはいけなかったので、しかたなく私は自分の持っていた洗濯機を押入れに入れていた そのシステムのおかげで狭い押入れがかさばって仕方なかったが、まだまだ使えると思っていた洗濯機をすぐさま捨てるというわけにもいかなかった


 そのコイン洗濯機の真下に住んでいた人は、私が越してからすぐ上階からの水漏れで数ヶ月後にはいなくなっていたので、実質私と幸子さんだけしか2階にはいなかった


 ある日私の洗濯が終わってしまっていたのを、コインランドリーよろしく、カゴにあげれられていたことがある 幸子さんであった(こりゃ まずいし、洗濯物をみられるのはイヤだ)
 私はそれから時間を見計って洗濯が終わったら即引き上げるように心がけ、最新の注意を払って暮らしていたものだった


 夏の日に淀川花火大会が遠くで催されているのが聞こえた
屋上にそっと上っていくと洗濯干し場になっているそこで、幸子さんが花火を見ていた
 私はその背中を見て、できるだけ音を立てないようにこそっと部屋へ戻った


 その秋のことだった
またいつものように幸子さんは酔っ払っており、階段の下で何やらバタバタとしている様子が薄い壁からもあからさまに伝わってきた(・・いかん・・また始まった)何分かが経ってもいっこうに部屋に入れないようすなのを見かねた私は、仕方なくドアを開け、うずくまった幸子さんのそばにいった


「鍵がないのよぅ」
「トイレに行きたい・・屋上連れてって」
屋上にトイレなんかないぞと思いながら、私よりも大柄なそのふらつく酔っ払いのカラダを支えながら階段を昇らせた


 それから、私は誰もいなくなった玄関の小さいスペースに幸子さんの鍵と思しきものを階上から発見して拾いに行き隣人の部屋の鍵を開けた
 幸子さんはスッキリしたようによろよろと屋上から降りてきて鍵を受け取り、何事もなかったかのように自室に入った


 ようやく事がすみ廊下にいつもの静けさがもどり ほっと安心して私も部屋へもどった
 
                 *

 その翌日の夕飯を食べていた時のこと うちのドアの下の隙間から何かが差し込まれたので
はしをくわえながら、見に行った 
幸子さんだった


 そこにはよれたメモ用紙に文字が5つ記されていた
その文字は幼児のそれといってもおかしくないくらいの
まさにみみずの這ったような文字らしきものが
5つおどっていたというのが申し訳ないけど妥当なメモだった
 

 でもあれほど人間臭い「ありがとう」の文字は見たことがなかったかもしれない


 幸子さんはあまり幸せな幸子さんではないと
赤い郵便受けの名前プレートをいつも帰宅の際に見つめつつ思っていた


 私はしばらくしてそこは引っ越した
 あの夏の日の淀川花火大会はじつは私の誕生日だった
私もまたひとりで行くところもなく部屋にいて
ついふらふらと階上に上がったのだ

 いまとなってはあれほど困りものだった幸子さんの身を案じながら
あの時それとなく同じ屋上で花火を見ていたらとふと思うことがある