知らぬが仏

okimituki2006-02-11

 私が息子と同じくらいの年齢の時
交通事故に遭ったことがある


 しかしそれは、ふいで突然な出来事ではなく
明らかに予見して起こったことだった


 何故なら、その日 妹の友だちという初めて見る女の子が来ており
さして特別なこともなく適当に外で遊んでいて
私はそれをそばで見ていたか
近所の子達と一緒になってその子も交えて遊んでいたかのどちらかで
どちらにせよ 
そういう自分事ではない
やや離れた存在としてその女の子を感じていただけだった
 

 夕方になって、その子が家に帰ると言うので
自宅の前辺りで妹が分かれようとしていた時だった
 その子は自転車に乗ってきており
これから数キロ先の自宅へひとりで帰ると言う


 私が妹に「送っていってあげたら?」と言うと
妹はあっさりと「イヤ」だという
 でも私はその時どうしてもその女の子を
ひとりで帰してはいけないという強い衝動を持った
その子が大門という、大きな道幅のある国道を渡ると口に出した途端
 私の脳裏にフラッシュで交通事故現場が見えたからだ


 そして妹を異様なまでに何度も説得しようと試みてみたが
小学生にはあまりに遠方であり
私たちには自転車もなかったので
嫌な気持ちもムリもないことだと思い
 この胸騒ぎを抱いた私が、不自然な関係ではあるが付き添うしかないと
仕方なく私はその見知ったばかりの女の子とふたりで
夕暮れを見ながら歩いて送ることを引き受けたのだった


 その道はやはり小学生低学年同士にしては遠いものだった
だけど、これで大丈夫だという安心感と使命感を持って
私はその道のりを、そこそこ友好的に過ごし
 それに自分が想像したようなことが現実に起こりうるのか
やはりそれは妄想に過ぎないことだったのか
自分の中でその決着もつけたかった


 その女の子は右側に自転車を押しながら歩いており
私はその内側 もっとも左に位置していた


 私がフラッシュで見た事故現場の横断歩道にさしかかった時
ちょうど信号は赤だった
 だから歩道に立停まりその青までのしばらくの間
ふたりは それとなく黙っていた
そして胸のうちでは、ここさえ渡れば
私はそれで当然自宅へ引き返そうと考えていたのだ
 

 私は左側から車道側を覗くカタチでそこにいたが
女の子の先にさらに自転車があったから
またその先の右側の車道の状況は見えにくくはあったし
 あれは自分の妄想だったと早くも結論づけそうになるくらい
着実で平穏な規律正しい世界が、せわしない車の往来を眺めていても続いていて
その後思えばやや尚早な楽観ではあったが、それほどにはスムーズな運びで
その子と私はそこにいた


 ちょうど青に変わった瞬間だった
一台の車がその子の自転車に急な左折で
高音を立てて、緩くではあったが突っ込んだ
 その衝撃で、気がつくと私はその場の植え込みの脇にしゃがんでいたし
女の子は違う方向へ倒れて
見知らぬ居合わせたおばさんに介抱されていた
まだ真新しかった自転車は歪んで横転し、
車輪が激しく回転しカラカラと乾いた音を立てていた

 
 あたりの人々の視線がいっせいに注がれ
電話を誰かがかけるように促し
この不測の事態にざわめき 国道沿いがそう然となっていた


 その時私はこうなることが、わかっていたにせよ 
私の力ではどうすることもできなかった脱力感と無力感でいっぱいになっていた
あらかじめわかっていたのにこの事故を防ぐということにまで
至らなかった自分を責めた
 だからコンクリートにうずくまって座り込んで、少し泣いた
 その女の子のことも、もうわからないくらい自分が混乱していた


 サイレンを鳴らして救急車が来た
私は意識がしっかりしていたので、有無を言わさず
市民病院で脳波の検査を受けさせられた
オウムの人たちがつけていたみたいなのをいっぱいくっつけて
先生に「大丈夫です」と言われ
私はあっけなくすぐに解放された


 あの時の女の子とはその事故地点で別々になったから
のちにも一度たりとも会うこともなかったし、顔も名前も覚えていない
妹と遊んでいたということもなかったように思う
 けれど大事には至らなかったことは噂で知った
 あの子は自転車によって守られていた


 私はあの時予見していたことを
その後もじつは誰にも言わなかったような気がする
それは、そのことを例えば誰かに言っても
所詮相手にされないだろうということのほうが嫌だったし
 そんなことより自分の頭で見たものが
事実不幸にも起こったことの驚きのほうが怖かったのだ


 あの子がもしひとりで帰っていて
あの事故が当然のシナリオのごとく起こったとすれば
そのことを何度か私は思い描いた
あの子は明らかにひとりで自転車に乗っていただろうし
その後の事態を思うとぞっとするものがこみ上げるのだった
 そしてそれをひそかに知りながら
ひとりで帰してしまったということそのものに対して
私はものすごく悔恨しただろうと思って恐ろしかったのだと思う


 けれどあの時私にはっきりと映像で見えたものは
あれ以来まったく威力を発揮しなくなった
 あの事故でそれらの力という力を
全力で使い果たしてしまったのかもしれない
 それともただの偶然だったのか 真相のほどはもちろん明らかではないが


 でも、そのほうがいいと私は思った
いまでもやはりどこか見えない部分で感じやすい面はあるのだけれど 
知らぬが仏
それにつきることもあると、私はそう自分に言い聞かせている